南無煩悩大菩薩

露の世は露の世ながらさりながら

2008-11-01から1ヶ月間の記事一覧

黎明。

髪の乱れは気にしても、心のみだれは直さない。 服の破れは繕うても、心の穴はつくろわず。 顔に鼻糞つけば、取り去るが、心の汚れはぬぐわない。 わるいとは しりつつわたるままの川 流れて淵に身を沈めけり。 誰にでもそんなことがあるのでございます。 か…

もうひとつの経済。

お遍路さんの休憩所には、山清水が滾々と湧き出ている。 誰かが発案する。 水車をつくろう。 山持ちのじっちゃん、わしは木を切ってくるよ。 田持ちのばっちゃんは、樋で水を引く。 大工の棟梁は製材して組み立てる。 石工の大将は刻む、南無大師遍照金剛。…

禿山のすすめ。

高木や低木や地衣類がそれぞれに寄り集まって林をつくり森を作る。 それは、それぞれにおいて、勝ち残ったものたちの独断場である。 幹を枝を伸ばし、葉を至る所に巡らし、あまねく光を我が物とし、土に根を張り、そこにある全てのエネルギーを独占するが如…

若藤と藤棚。

老竹も 藤に抱かれ 花咲かす。 来年の早苗の頃には、ひとはなさかすであろう藤のつるが、真新しい藤棚の竹を這っている。 この仕込が、やがては、絢爛連朗の花のある憩いの屋根を普請する。 藤棚は藤棚として、藤は藤として。 普請は、その建ちゆくさまがお…

労働と生産。

当たり前すぎることは、その当たり前においてその肝要を見逃すことは多い。 肉体的精神的な労働というものを通じて生産を行う。 全ての生産物は、労働という前提なしにはあり得ない。 至極当然。 落とし穴は、労働をすれば、生産されるかということであろう…

はれるや。

サロンパス おまえもはるかい 女郎蜘蛛。 寒さと共に肩がこる。頭痛には、細かく切ったサロンパスをこめかみに張るとよい。風邪等の喉の痛みにも、サロンパスを局部に張れば効くようだ。 格好を気にする人は、ムロンパス してもよいのではございますが。 お…

よのなごり。

あれ数ふれば暁の 七つの時が六つなりて 残る一つが今生の 鐘の響きの聞き納め 寂滅為楽と響くなり。 -近松門左衛門「曽根崎心中」より- 一つの名文名調子のおかげで、小生たった一人の道行の、そのよの風景を又違ったものにしてくれる。 鐘が鳴るなり法隆寺…

狐の和尚。

まいど。 商売繁盛してはりまっか。 手すりすりしながらあんさんのご利益なりにきましたで。 いつきたかって? けさきた狐ですわ。はは。 狸坊主がおるなら、狐坊主がおってもよろしおす。 ひとつええこと教えましょか。 楽に儲かるはなし。耳貸して頂戴。 …

裸の貝。

いわゆるヌードなのである。 何もかも脱ぎ捨てて、あなたの海に飛び込んだのである。 なるほど、私は貝になりたい。とは安易な詮索を許さないので気をつけよう。 しらなかった。 妖艶とも取れる姿態は、ヌードの由縁であろうか。 貝殻を失った貝。 それでも…

情にあり。

鮎は瀬になじみ、鳥は木に止まり、人は情に安らぐ。 子育てにおいて、その子を一番不幸にするのは、なんでも欲しがるものを与えてしまうことだという。 情(じょう)には棹差す気概も大事だと思われる。人はパンのみで生くるにあらず。 掛け値なしに発露する…

きみゃく。

むかし景気のよかったものは、復古を主張し、いま景気のよいものは、現状維持を主張し、まだ景気のよくないものは、革新を主張する。 -魯迅- 総髪頭をたたいてみれば、王政復古の音がする。 ちょんまげ頭をたたいてみれば、因循姑息の音がする。 ざんぎり頭…

美しきもの。

海洋の真っ只中で、難破したとしよう。 とりつくしまもなく、ただひとり。波にもまれただようのみの、心細るに陥ったとき。 何かを思う。 秘めたる心身の強弱を露呈するのはこういうときだろう。 難破するような事態に関わった自分の行動を悔やむかもしれな…

夢は枯野を駆け巡る。

あだしのに すすきゆらして からっかぜ。 冬モンをほじくりだして、はおるようになると、もう一気に忘年会シーズンですなぁ。 「やばいは気から」とも申しますように、どうのこうのの風当たりの強い時分は、唐詩でものたまいながら一杯やるとしましょうや。 …

小春の口上。

けっこうけだらけ ねこはいだらけ しりのまわりはくそだらけ。 みあげたもんだよ かえるのしょんべん。 寅さんじゃありませんがね、口上のひとつも唸ってみたくなるのが、小春日和の日没のそのまえ。 影を長く落としましてね、あの世とこの世を透き通らせた…

秋津洲。

名の野辺に はねやすめたり あきつしま。 そのへんのくさっぱにとまりまっしゃろ。 そうすると、ぐっ ぐぐっ と はねをさげていきますんや。 あかねのからだとはねのせんさいなもように秋の陽があたたこうはんしゃしましてな。 なつかしいようなまぶしいよう…

一掬の涙。

-高野聖(こうやひじり)はこのことについて、敢(あ)えて別に註して教えを与えはしなかったが、翌朝袂を分って、雪中山越えにかかるのを、名残惜しく見送ると、ちらちらと雪の降る中を次第に高く坂道を上る聖の姿、あたかも雲に駕(が)して行くように見え…