南無煩悩大菩薩

露の世は露の世ながらさりながら

2009-06-01から1ヶ月間の記事一覧

ある刹那。

セツナ「刹那」(梵語) :仏教ニ時ノ極メテ短キノトナエ、壮士ノ一弾指ノ間ヲ云フトゾ(極メテ長キ劫(ゴウ)ニ対ス。) -言海より- 「刹那(せつな)」:瞬間瞬間。 「銭に恋着して―忘るること能はず/福翁百話(諭吉)」 「刹那(せつな)」:刹那におこる思い。…

その刹那。

時(とき)は、時に私をふりかえらせる。 急ぎすぎた瞬間(とき)でさえ、永すぎた数多(とき)でさえ、その刹那(とき)は一時(いっとき)に凝縮された「念」を残すようだ。 一所(生)懸命でがんばる。という言葉があるが、一時一念でがんばる。というこ…

考える童(わらべ)。

うーん。 我社がわらしべ長者になるためのアプリケーションとはどうあるべきか。 慎ましやかに又親しく人に交わり、元気に解かりよく物をいい、自らは加わらないが若いものの喜悦を真面目に庇護し、色々と気を用いて世話を心がけ、周囲が喜ぶことに満足と好…

崇高と美の感情性について。

満足や嫌悪などの色々の感じは、それを引き起こす外因というよりも、むしろそれを快不快と感じる各人に固有の感情性に基づくものである。 ある人々の喜びを感じるものに、他の人々が胸をむかつかせたり、恋愛の情熱がしばしば一般人にとって謎であったり、又…

崇高と美についての男女感。

悟性は崇高であり、機知は美である。 勇猛は崇高で、偉大であり、奸策は卑小であるが美である。 クロンエルは、慎重は市民の長の徳だといった。 真実と誠実とは単純で高貴である。 諧謔と丁寧な会釈とは、雅にして美である。 行儀は徳の美である。 己を捨て…

儘に受ける。

つゆでんなぁ。 そうでんなぁ。 雨落ちてきますやろか。 そりゃきます。つゆですよってに。 そりゃそうと傘ありまへんで。 なけりゃしゃあない。顔で受けましょ。 そりゃそりゃそうじゃそらそうじゃ。 そりゃそうじゃの雨は、儘に受けてみよう。

シトピッチャン。

蓮の葉が雨を受けている。 ぱらぱらと落ちている。 驟雨のようだ。 そのうち小降りになるだろう。 やがて。 篠づく雨が雫となって蓮を伝って落ちてくる。 しとしとぴっちゃん。 シトピッチャンは、目を閉じてその風景を思うのがなんとも落着く。

八咫(やた)の鏡。

天照大神は、女神の胸も陰部も妖艶裸々の踊りでその気になって、八咫(やた)の鏡に興味を惹かれ、天の岩戸から引き出されたという。 日本の神々は、その原点にして、かくも微笑ましく爽快である。 「あけっぴろげ」なのである。 神とは本来、そういうものであ…

ベンチのある風景。

木漏れ日とベンチと木々の緑の按配と一陣の風も気持ちよかったので、そのベンチに座るのをためらった僕は、それを遠くから座って眺めることにした。 この風景に僕が割って入っては何故かいけないような気がしたからである。 結局、ベンチに座ることなく眺め…

おたきさん。

シーボルトさんは、日本原産のあじさいの学名にOTAKUSAとつけました。 そんな呼び名は当時の日本にはなかったようで、愛妾のお滝さんの名を忍ばせたのではないかと言われています。 持ち帰った植物に持ち帰れない名前をつけたわけでありますなぁ。 学…

おつ。

竹を切って、一節のこし、酒を入れて、焚き火で焼く。 野にさがり、風に吹かれてやる一献のかっぽ酒は、おつなもの。 その昔の小料理屋の凝り性の主人(あるじ)なんかは、ありきたりの庭下駄では面白くないからと、竹を二つに割って、シュロの鼻緒をすげ、…

間の効用。

間というものは大事だ。 植林事業での間伐(かんばつ)は、人工林の安定と健康な生育には欠かせない、間を確保する作業である。 枝打ち間伐の作業を怠った植林は、栄養不足によるひ弱な木をつくりやがては土壌の崩壊を招くようになる。 不健全な密集から間引…

いなせ。

ボラの背と書いて、鯔背(いなせ)という語源のようである。 幕末頃の文献の中には、「侠」と書いていなせと読ませているものもある。 なるほど漢字の受け取り方としては、後者の方に軍配を上げたい。 いきでいなせだねぇ。は粋(いき)で侠(いなせ)のほう…

やりがい。

利得や損失とは、希少な資源の有効活用の成否だろうとおもう。 経済社会では希少な資源を最大限活用しない企業のトップや決裁者には「損失」という結果での排除圧がかかる。 「利得」とは、希少な資源の有効活用に成功し、その資源にプレミアムがついた状態…

いきがい。

日常業務の中で、夢を見たり、創造したり、探求したり、発見したり、想像したりする。 冷笑的になったり、自らを哀れんでみたりはもうよそう。 いつになったら、自分の周りのそのことに気づけるのだろう。 いつになったら、行動を起こせるのだろう。 いつに…