2007-12-01から1ヶ月間の記事一覧
身につまされるような出来事もありました。 身を削るような思いもありました。 落ちてこそ浮かぶ瀬もあれと思うことがありました。 親身になってくれる人達がおりました。 たかが一年。されど一年。 本年も暮れようとしております。 とりもあえずも今日は縁…
身を守るという意味あいでは、寒い時期の梢の方が秀でている。 キュン!と引き締まる思いは、背筋を伸ばすのである。 水ぬるむ春にはぬるむことによって体内の脈動が活発化する。 にょきにょきと、成長するためには、キュンとした土台が重要である。 キュン…
木枯らしの中の枯れた暖色の落ち葉を背景に躑躅の赤い蕾が揺れている。 まいあがりしずみながれころがりかさなる枯れ落ち葉は、かさかさとその揺れにシンクロする。 気温と音と風景の中で、百舌が甲高い声を出している。 耳は、澄まさなくても澄んでくる。 …
首(こうべ)を回(めぐ)らせば 七十有余年 人間の是非 看破に飽きたり 往来 跡幽(かす)かなり 深夜の雪 一柱 線香 古窓の下 -良寛和尚- なにも足す必要も無い。 なにも引く必要も無い。 先人の悟。
僕の友人に、日田真里さんという人がいる。 嘘です。 話は変わるが、陽が当たると白くなる。 面白いの語源も、顔に陽が差したようにぱっと目の前が明るくなることだ。面白いとはそういうことをいう。 前にも書いたことが、あったかもしれないが、そういうこ…
私がデザイナーならば、このバランス模様は、頂くだろうなぁ。 こんな裾模様の着物を粋に着こなすような人に逢うと、後ろをついていきたくなるかもしれない。 自然(じねん)の道理に導かれた葉模様には勝てないなぁ。 はらはらとひとつひとつおとしながらの…
いツン頃からか、このような風景を探すようになっていた。 猫可愛がり。とでもいえなくもないほど、寂びの風景が好きになっている。 暑い時に涼を求め、寒いときに暖を取る。 とかく人は、欲するものである。 欲望はだんだんと少なくなり、欲求は日に日に高…
架空の鳥、鳳凰は桐の枝にしか止まらないという。 桐箪笥などはとても高価なものである。 木を見て森を見ず。という諺があるが、桐の木の生い茂る森を見てみたいものだ。 木を見て森を想う。 桐一葉。 ちぎってみたい欲求を抑えながら、独特の葉形に眼を凝ら…
廊下を走ってはいけません。 とよく小学生の頃に言われた記憶が今よみがえる。 走ってやる。 と意気込んでは見たが、どうもそのような元気は無くなっていた。 回廊を回遊しながら、そういえば、あのときの廊下は、広く感じたなぁ。などと思うのであった。 ま…
ぐーをだせば、ぱーに負けるというものがジャンケン。 ほい。かぽい。かは任意ですが、勝っても負けても恨みっこ無しよでじゃんけん。 話は変わるが、昨夜通勤鞄を開けてみたら、見覚えの無いお金が入っておった。 お金そのものには見覚えはあるが、そこにあ…
親孝行と富士の山。 どちらも仰ぎ見るほど神々しい。といわれる由縁がある。 その昔から、先祖を大事にする人は出世する。ともいわれてきた。 お墓をきれいにするから、成功するのではなく、由縁あるものへの感謝と汚さぬ思いを持つような者でないと人生出世…
春来草里生。 冬来たりなば、春遠からじ。 芽吹きの予感は冬の訪れと共に高まる。とはよくいったものだ。 そう。遠からじなのでる。 春が来て、里山々に草が生える。 あたりまえのことだけれども、そのあたりまえを言葉にすると、あたりまえがしごく有難く聞…
その御堂は小高い森のいただきにあった。 町がこしらえた案内板にはこうある。 道仙様の檜と御堂。斉藤道三の落とし子が道仙様だという。 しかし何故、土佐の山間で奉られているのか。 斉藤道三といえば、戦国の幕開けを飾る下克上の世の猛将ではないか。 美…
合成の誤謬。ということがよくある。 部分であてはまることが、全体にも当てはまると勘違いしてしまうこと。 ある閉じられた社会の常識は、世の非常識。という結果が、事件となっている。 歴史を重ねるにつれ多様で複雑化し幾多の合成の上に成り立つ社会。 …
うまそうな色ではあるが、人が食しても美味くは無い実である。 象のすむ大陸には、象の胃の中で数日もまれない限り、発芽できない実もあると聞く。 究極の戦略ではあるが、象がいなくなれば運命の行方は定まっている。 この実はどのような戦略を取っているの…
うだつをあげることもできない私でも鬼瓦を仰ぎ見ることはできる。 かっては、男に限らず、社会にでて身の出世を全く望まない人はいないと思っていた。 どうも最近勝手が違う。 出世の意味が大きく自分の中でも変わってきている。 いやむしろ変えざるを得な…